『えびボクサー』の撮影はロンドン及びイングランド中西部地方で行われた。90年代初頭、監督のマーク・ロックはある晩テレビを見ていて、エビを題材にした脚本を書くことを思いつく。ロックはこう語る。「野生のままのエビを特集したWILDLIFE ON ONE(BBC1で制作・放映された番組名)を見ていたんだ。この映画の根本的なアイディアはここからきた。ごく普通の人たちと友達になってフォードの運送用バンにのっているエビをね。」しかし、ロックが具体的に登場人物、物語・セリフ構成を固めていったのはプロダクションから出資を募るために3ページの企画書を書いた1998年からだった。この時点でプロデューサーとしてINCUBATOR PRDUCTIONSのヘンリー・ヴァン・モイランドが加わり、ロックは最初の脚本を書くことになる。
 「私は1999年3月から2000年夏にかけて3回脚本を書いたが、その中で第1回目が一番難しかった。物語に私の個性を見出さなければならなかったし、ちょっと力が入りすぎていたからね」

 1回目の脚本を書き終えると、ロックはすぐにヴァン・モイランドに渡した。「渡した後にオックスフォード・ストリートのさびれた電話ボックスから彼に電話したんだ。そうしたら彼は『OK!かなり長いけど可能性がある!』と言ってくれた」
 2回目の草稿の際、彼は難しいと思われるいくつかの内容を削る。「ウルリカ・ジョンソンがエビの麻酔で倒れてしまった後にトラベル・ロッジで愚痴っているシーンなんか本当は残しておきたかったんだ。」しかしこのようなシーンは物語の本質からずれてしまうと思い直し、Mr.Cが彼女を正面玄関で気絶させてしまうという短いシーンだけが残された。1999年に第2稿を書き上げると、ヴァン・モイランドはGIANT FILMのプロデューサーであるニック・オへイガンに話を持ちかける。
「話はどちらかというと気に入っていた。『えびボクサー』の物語でビルが中部地方のパブでエビの話を持ちかけられたように、ロンドン中心部にあるバーで脚本を見せられたんだよ。

 アイディアが常軌を逸脱していると思ったね。でもあまりにばかげているゆえにチャンスを与えるべきだと思った。マークの短編のビデオを渡されたから家に帰って見たよ。数分後にはこの映画を作るという確信があった。マークは世界を非常に変わった捉え方をする。登場する人物も彼らを取り巻く状況も普通だが、彼らの身に降りかかることがとんでもないんだ。」
 「確かにこの映画には7フィートのエビが登場する。でもそれに慣れれば後はごくごく普通に生活している人が、ひょんなことからエビと知り合いになる物語なんだ。映画の素晴らしい点はここだね。視覚的にユニークで楽しませてくれるとんでもないアイディア、時間、空間を探求することができるのだから。」
 オヘイガンの参加が決まり、次に投資家へのアプローチが始まる。「我々は1、2週間ロンドンで真剣なミーティングを重ねたんだ。ダンボールに入るくらいのMr.Cのミニチュアを持ち歩いていたんだけど、色があまりにも赤すぎて、茹でられたみたいだった。

だからみんなMr.Cはロブスターかと思っていたんだよ。 「バービーとケン」のケン人形を持ってきて大きさの対比がわかり易いようにした。ケンはジャンプスーツに陰陽の刺青を胸にいれていて、我々が考えていたビルとは違うのですぐ捨ててしまった。」
「人の目をひくために思いついたほかのアイディアといえばカンヌ映画際でニック(オヘイガン)にエビの格好をさせるという考えもあったんだけど残念ながら彼が乗り気じゃなかった!小道具の話はひとまず置いといて、宣伝文句はこうだったんだ。『とてもユニークでとてもおかしなハイコンセプトコメディー。でも主役はリアルな感情を持つ普通の人々。』我々のターゲット層?それは主婦、公民権を剥奪されたタランティーノのファン、感情を持つすべての人、劇場に笑いを求めて足を運ぶ人、そして16歳の少年たち、だ」ジョリオン・シモンズを通じてオヘイガンとヴァン・モイランドはLITTLE WING FILMのキース・ヘイレイにアプローチし、彼はこの企画をバックアップする機会に飛びついた。こうして『えびボクサー』は2000年11月にプリ・プロダクションに入った。