映画「フリーソロ」公式サイト » DIRECTOR’S MESSAGE

エリザベス・チャイ・ヴァサルヘリィ
(監督・プロデューサー)

『フリーソロ』は、極めて私的な物語です。私自身も伴侶(ジミー・チン)がクライマーということで、クライミングを取り巻く人間の感情というものに興味がありました。この映画では、アレックスの内的な対話だけでなく、後に恋人となるサンニ・マッカンドレスとの間に芽生える恋愛関係を含め、家族や友達など、アレックスの個人的な人間関係をカメラに捕らえることが重要でした。サンニが、アレックスが冒す危険にどう対処するのか、アレックスが私生活と登山への野心のバランスをどうとるのかを描きたかったのです。アレックスとサンニの2人の驚くほど率直なシーンは、いつまでも私の心に残り続けると思います。

映画の製作途中の会話を入れるかどうか悩みましたが、最終的に、映画の製作過程そのものも、物語の中の重要な要素であるということが明らかになりました。毎日、リスクと映画製作における道徳的な問題と向き合う日々でしたから。主役のアレックスと、映画を撮る側のジミーと私との間のやり取りが常に繰り広げられていました。

でも、アレックスという人間は、決して異端児ではないと思います。彼は非常に整然としていて、彼のフリーソロ・クライミングが成功したのは、あの着実さがあったからこそだと思います。アレックスの物語は、向上心に溢れ、私に深く影響を与えました。私は、アレックスと関わる中で私の心に浮かんだ問いかけを、今度は観客に投げかけたかったのです。その問いかけとは、「もし、アレックスが恐れに直面しながらも、これを達成できるのであれば、私は自分自身の恐れを抱えながらも一体何ができるだろうか。人間の精神の限界とは、どこにあるのだろうか?」というものです。この映画では、こういった大きなテーマを扱いたかったのです。この映画は、私たちが日々、下している決断に意図的に目を向けさせ、私たちに「意味ある人生とはなんだろう?またそれはなぜだろう?」という問いを投げかけるのです。

ジミー・チン
(監督・プロデューサー・撮影監督)

フリーソロ・クライミングは、凄まじい集中力を要するスポーツです。自分をキャッチしてくれるような安全装置が全くないわけですから。簡単に言うと、完璧にこなさなければ、死を意味する。最もシンプルで、最も危険なクライミングスタイルなのです。あるのは、自分と岩のみ、ミスの余地は一切ないのです。アレックス・オノルドは、フリーソロに向けて綿密に計画を練るタイプで、彼には特別な才能があります。それは、「自分の恐怖を完璧に操ることができる」才能です。偉大なるアスリートたちは、プレッシャーの中でいかに能力を発揮できるか、という点で評価されます。常に「生きるか死ぬか」というリスクにさらされながら、一度に数時間もの間、完全なる平静さを保ちながら、完璧にやり遂げなければならない。これはとても凄いことだと思います。フリーソロイストになる人は、非常に難しい決断を迫られます。それはある意味、人が人生の中で下さなければいけない決断の中で最も苦しい決断かもしれません。自分の野心か家族/恋人か、リスクか報酬か——。

この映画を作るにあたって、僕はアレックスが、100%準備が整った時にだけ、エル・キャピタンのフリーソロを実行すると最初から信じるしかありませんでした。実際、「エル・キャピタンのフリーソロの準備が100%整った」と思える人間がいたということ自体、いまだに信じられません。プロの登山家が絶好調の日にロープを使って登っても落ちる可能性があるくらい難易度が高いからです。フリーライダーのクライミングは、非常に不安定で複雑で、超人的な力と忍耐力以上のものが必要になってきます。非常に洗練された技術を使い、微妙な体位を保たなければならない。完全に摩擦の力だけで身体を支えなければならないこともあります。つまり、足を引っかける場所もなければ、手で捕まる場所もないということです。「完璧」でなければならない。そして、彼は完璧だったのです。