映画「家族にサルーテ!」公式サイト » INTERVIEWS

―ハリウッドからイタリアの現場に戻られたわけですが、どのようなご心境ですか?

12年間、ロサンゼルスで未知の発見を得ながら仕事をして過ごしました。物理的にも感覚的にも遠く離れた所へ旅をした後に、まさしく家に戻ってきたという心境です。映画をつくることで視野が広がり、探究者や観察者としての視点を培うことができました。本作は私がこれまで成し遂げてきたものの集大成といえるかもしれません。

―映画では何が起こるのでしょうか?

「A casa tutti bene」 (家ではみんな良い感じ)というタイトルは偽善の仮面を被って生きてきた大家族の化けの皮が剥がれるまでの状況を表しています。これは金婚式の招待客たちが島で予定外の残留を強いられた時に起こります。3日間という長い間、家族は同居することになりますが、この事態によって緊張感が高まり、爆発します。また、逃げられない空間と時間の中で互いに向き合うことで不安や不幸、欲求不満、裏切りや嫉妬が浮かび上がります。

―この映画の重要なポイントは何ですか?

様々な年代における人間の精神や絆の複雑さです。それは一種の岩石標本採取みたいなもので、私たちの人生のあらゆる局面を引き出して見せています。善人のように振舞えるのは、社会の規範やマナーによって行動を制御しているにすぎないということへの反省です。もしこの行動の制御が長時間に渡り、“予定外の状況”ともなれば、秩序は崩れ、いとも簡単に喧嘩や争いを生じさせ、激昂やあらゆる局面での感情に基づく素の行為が露出します。そしてそれは予期せぬ恋にまで至るのです。この映画は家族を通じて人間同士、つまり社会全体という大きな関係性のエネルギーを物語っています。映画の中の家族は異なる社会的階級に所属し、財政難や生活の不安を抱えながらお互いが間近で関わることになります。子供たち、若者たちは、動揺した大人たちの世界を心の準備ができていないまま、受け身のまま目撃することになります。理解する者もいれば、まったく理解できない者もいますし、自身の旅を完結させた者もいれば、未だ人生の嵐の中にいる者もいます。大人たちはいつも本来の自分よりも善人になろうとする路頭に迷った人たちです。彼らは自分のことだけを考えて前を見つめ、やり直したい気持ちを抱え、過ぎ去った時間や修復不能の過ちを取り戻そうと、今なお可能性を信じ未来へと向かうのです。

―撮影現場ではあなたと俳優との間ではどのような空気感が生まれましたか?

俳優たちはすぐにこの大家族がどのように生活しているかを理解しました。重要でない役や二次的な役割はなく、全員が家族という共同体において唯一無二の存在でした。それぞれの考えは物語が進むにつれて、激しく対立していきます。各役者がプロとしての能力、気前の良さ、才能、情熱を見せてくれました。俳優全員が登場人物を深く理解してくれたことが、意図するところを確実に描く、大きな助けになりました。彼らの演技は奥行きが深く、例えばあるシーンにおいて中心ではなく背景にいるだけの時も、必要な存在として、直接、場面に関わっているという空気を見事に醸し出しています。その才能は私の理想を超えた仕上がりへ導いてくれました。キャスト全員が制作の全期間にわたりイスキア島に滞在し、この冒険に参加してくれました。

監督
ガブリエレ・ムッチーノ
Gabriele Muccino

1967年、イタリア、ローマ生まれ。1998年、長編映画監督デビュー作で、イタリアのアカデミー賞にあたるダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞新人賞にノミネートされ、一躍注目される。2001年、「最後のキス」(未)で、ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞の監督賞と脚本賞、サンダンス映画祭の観客賞を受賞し、海外にもその名を知られる。続く、モニカ・ベルッチ主演の『リメンバー・ミー』(03)で、ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞の作品賞、監督賞、脚本賞に輝き、イタリアを代表する監督となる。そして2006年、ウィル・スミス主演の『幸せのちから』でハリウッドに進出し、日本でも大ヒットを記録する。その後、再びウィル・スミスとタッグを組んだ『7つの贈り物』(08)、「もう一度キスを」(10・未)、ジェラルド・バトラー、キャサリン=ゼタ・ジョーンズ、ユマ・サーマン共演の『スマイル、アゲイン』(13)、ラッセル・クロウ、アマンダ・セイフライド共演の『パパが遺した物語』(15)などを手掛ける。