ロシアの巨匠アンドレイ・コンチャロフスキー。弟のニキータ・ミハルコフとともに旧ソビエト連邦時代から今に至るまで、半世紀以上も第一線で活躍しているフィルムメーカーだ。キャリア初期の文芸映画『貴族の巣』(70)や『ワーニャ伯父さん』(71)、黒澤明の原案に基づくアメリカ映画『暴走機関車』(85)、スターリン時代の実話を映画化した『映写技師は見ていた』(91)などは日本でも広く知られている。
そんな現在84歳の巨匠が新たに発表した『親愛なる同志たちへ』は、1962年にソ連の地方都市でありウクライナにほど近い町ノボチェルカッスクで実際に起こった虐殺事件と向き合ったヒューマン・ドラマ。ソ連崩壊後の1992年まで30年間、国家に隠蔽されてきた衝撃的な歴史の真実に迫った作品である。第77回ヴェネチア国際映画祭で審査員特別賞を受賞し、第93回米アカデミー賞国際長編映画賞・ロシア代表に選定されるなど、すでに世界各国で絶賛を博している。
スターリンを敬愛しソ連の繁栄を信じて疑わなかったリューダは、非武装の市民が次々に殺害される惨たらしい現場を目の当たりにして、自らのアイデンティティーを打ち砕かれていく。さらに、事件を主導したKGBのメンバーであるヴィクトルもまた、リューダの娘の捜索に協力していく中で、事件の隠蔽を図る国家の非情な実態を目撃する。国家に忠誠を誓ったはずの二人だったが、母として娘を案ずるが故にいつの間にか党の規律に反する行動をするようになってゆく。果たして二人が崇敬する”祖国”とは何だったのかー?
コンチャロフスキー監督は、母であり、そして共産党員でもあるリューダの繊細に揺れ動く心情を巧みに演出したことで、時代に翻弄される一人の女性をドラマチックに描いた。さらに、サスペンスとアクションを織り交ぜ、リューダがたどる3日間の激動の運命をスリリングに描出した。また、モノクロ映像にすることで、残酷さよりも静謐な恐ろしさが立ちこめ、当時のソ連の冷徹な空気を見事に映し出している。約5000人のデモ隊が占拠した広場に銃声が鳴り響き、阿鼻叫喚のパニックが引き起こされる虐殺事件のシーンでは、その圧倒的なスケールと緊迫感に息をのまずにいられない。
KGBの公式データによると死者26人、負傷者数十人、逮捕者数百人を出し、7人が処刑された(非公式のデータでは死者100人とされる)とされるノボチェルカッスクの虐殺は、決して遠い過去の話とは言いきれない。重いメッセージをはらんだ本作を鑑賞した者は、ロシアによるウクライナ侵攻、香港、ミャンマーにおける民衆弾圧のニュースが脳裏をよぎるだろう。名匠コンチャロフスキーが完成させたこの渾身の新作は、まぎれもなく現代の不穏な世界情勢と地続きにある歴史大作なのだ。
1962年6月1日、フルシチョフ政権下のソ連で物価高騰と食糧不足が蔓延していた。第二次世界大戦の最前線で看護師を務め、共産党市政委員会のメンバーであるリューダは、国中が貧しい中でも贅沢品を手に入れるなど、党の特権を使いながらも父と18歳の娘スヴェッカの3人で穏やかな生活を送っていた。
そんな中、ソ連南西部ノボチェルカッスクの機関車工場で大規模なストライキが勃発。生活の困窮にあえぐ労働者たちが、物価の高騰や給与カットに抗議の意思を表したのだ。この問題を重大視したモスクワのフルシチョフ政権は、スト鎮静化と情報遮断のために高官を現地に派遣する。そして翌2日、街の中心部に集まった約5000人のデモ隊や市民を狙った無差別銃撃事件が発生。リューダは、愛娘スヴェッカの身を案じ、凄まじい群衆パニックが巻き起こった広場を駆けずり回る。スヴェッカはどこにいるのか、すでに銃撃の犠牲者となって“処分”されてしまったのか。長らく忠誠を誓ってきた共産党への疑念に揺れるリューダが、必死の捜索の果てにたどり着いた真実とは……。
フルシチョフ政権によって1950年代後半から1960年代前半に導入された経済・貨幣改革により、物価上昇と食料不足が国中を蔓延する。1962年6月1日(土)、給与カットに対する労働者の不満が高まり、ロシア南西部の町ノヴォチェルカッスクの国営機関車工場で大規模なストライキが発生。群衆は5000人を超え、鉄道を封鎖し、現地共産党幹部が集結する工場の管理棟を占拠するなど暴徒化した。翌6月2日(日)、戦車とともにソ連軍がノボチェルカッスクに入り、群衆を暴力的に鎮圧。KGBのデータによると死者26人(非公式では約100人)、負傷者数十人、処刑者7人、投獄者数百人に達した。この事件はソ連が崩壊するまで約30年間隠蔽されていた。
脚本段階からコンサルタントとして協力したのは、現司法省少将ユーリ・バグラエフ。彼は1992年6月当時、主席軍事検事補佐官としてノボチェルカックス事件を担当、行方不明者の調査チームの責任者を務めるなど、1994年9月の調査終了まで事件の全容解明に尽力した。
ソビエト映画のイメージにできるだけ近づけるために、当時の映画では主流であったモノクロかつ1.33 : 1のアスペクト比で撮影した。
撮影は2019年6月25日から9月19日までの約3ヶ月間、モスクワ・オリンピックのメイン会場でありロシア最大の球技専用競技場のルジニキ・スタジアムや、ノボチェルカッスクに作られた大規模セットで行われた。プリプロダクションの段階で一番苦労したのは、大虐殺シーンの撮影に適した場所を見つけることだった。実際の事件が起こった広場や共産党本部であったアタマン宮殿で当時を正確に再現することを監督は希望したが、60年を経て大きく建て替えられてしまっていたため使用できず、大勢のエキストラを収容できるルジニキ・スタジアムの一角に原寸大のアタマン宮殿のセットを構築した。外観シーンは、主にノボチェルカッスクとロストフ地区で撮影された。ノボチェルカッスクでは、悲劇の舞台となった機関車工場での労働者のピケや集団ストライキのエピソードが撮影された。また、モスクワやトゥーラ地方でもロケが行われた。
ソ連時代の虐殺事件を見事に再現した!
★★★★★
― The Guardian
魂が揺さぶられる!
★★★★★
― Irish Times
巨匠アンドレイ・コンチャロフスキー
最高傑作!
― The New Yorker
まばゆく、冷徹で、激烈
― The Spectator
カフカの不条理劇のような国家の姿を、
辛辣なユーモアたっぷりに描き出している
― Time out
いかに強固な信念も、個人的な愛情と
相反するものであれば枯れてしまう。
それを証明した傑作!
― Irish Times
恐怖と怒りに満ちた情熱的な作品
― Guardian
コンチャロフスキーは
またしても我々を困惑させる。
ああ、なんという傑作!
― The New Yorker
「怒り」が映画製作者の心を
揺るがすことがないという痛烈な証拠。
本作は、極めて公正に、冷徹に、
正確に作られている。
― Variety
ヴィソツカヤの力強い演技が見事!
苛立ち、そして自らが賛同してきた
抑圧を前に、不安と恐怖が高まっていく。
― Screen International
真実の渇望と芸術的な強さが、
この無情な映画に
完全なる価値を与えている。
― Marianne
徐々に高まるパニックを描く、
巧みなショットの構成が素晴らしい。
― Cahiers du Cinéma