KIRIKOU キリクと魔女
愛と赦しと人間解放の世界寓話

ミッシェル・オセロイメージ 昔から、子どもというものは知りたがり屋で、「なぜ? どうして?」と質問しては大人たちを困らせる存在でした。ところがいまや、ブラックボックスのような機器が家庭にあふれ、映像の中では超リアルにメカが空を飛び、車も乗れないはずの子供ヒーローが操縦して敵を倒しています。もはや誰も、「どうして空を飛べるの?」なんて質問しません。答えは、「だってアニメだもん」と決まっています。子どもだけでなく大人までが、素晴らしい技量に支えられた日本のアニメが与えてくれる、めくるめきやこころよさに身をゆだね、心を奪われ、癒されています。「なぜそんなにうまくいくの?」などという質問は興ざめさせるだけです。

 そういうとき、私は『キリクと魔女』に出会って衝撃を受けました。ここ数年来、これほど感心したアニメーション映画はありませんでした。大好きな『トイストーリー2』よりも、見事な『千と千尋の神隠し』よりも、ぼくは感動しました。

 「どうして魔女カラバは意地悪なの?」この問いかけからすべてがはじまります。「それは魔女だからさ」という答えに、この映画の主人公、キリクは決して納得しないのです。キリクは、生まれ方は神話的ですが、その実、真っ裸のただのちびの子どもにすぎません。猛烈な速さで走れるだけで、体力もなければ魔力もない。キリクはひとりで闘うけれど、ひとりでは闘えません。人の協力が必要です。そのキリクが、なぜ村を支配する魔女に立ち向かえるのか。それは、キリクが連発する、まさに昔からの子どもの武器、「なぜ? どうして?」の質問によってなのです。また、キリクは次に何をするか、どうすれば成功するか、よく考えてから果敢に行動に移ります。これも日本のアニメにはほとんど見られないものです。見すすむにつれて、だんだんと謎が解けてゆき、すべてがくっきりと明らかになります。子どもたちや村人が折りにふれて歌う、ユッスー・ンドゥールの大地からわき上がるような歌がまた素晴らしい。喜びの太鼓と歌が爆発して大団円を迎えたとき、ぼくは心も頭もすっきりと解き放たれ、じつに爽快な気分になりました。

 ミッシェル・オスロは、人類発祥の地アフリカの村を舞台に、女性たちを中心にすえて、まったく新しい、愛と赦しと人間解放の世界寓話を創作したのです。ぜひご覧になってください。

・・・わたしの主人公が、小さかった頃わたしがした質問をするだけでじゅうぶんだったのです。それは昔話のなかでは決してなされない質問です。
 「どうして悪玉メシャンは意地悪メシャンなの?」
 すべてはこれでごく自然につながっていきました。母親のひかえめな存在、魔女の美しさ、ほかの多くの人たちのように恥ずべき男たちによって虐待されたカラバのドラマ、トゲの苦痛、祖父の英知、フェティシュの秘密、ゆるし、魔法のキス、そして死のかわりに、愛... 。

(ミッシェル・オスロ『キリクと魔女』原作本あとがきより)

ミッシェル・オスロ(Michel Ocelet)
1935年10月29日、三重県伊勢市生まれ。7人兄弟の末っ子。'59年に東京大学仏文科卒業後、東映動画へ入社。テレビ「狼少年ケン」第14話「ジャングル最大の決戦」('64)で初演出。劇場用映画「太陽の王子ホルスの大冒険」('68)で初監督。以後「アルプスの少女ハイジ」('74)、「母をたずねて三千里」('76)、「赤毛のアン」('68)(以上、TV演出)、「セロ弾きのゴーシュ」('81)、「じゃリン子チエ」('81)、「火垂るの墓」('88)、「おもひでぽろぽろ」('91)、「平成狸合戦ぽんぽこ」('94)、「ホーホケキョとなりの山田くん」('99)を発表。プロデュース作品に「風の谷のナウシカ」('84)、「天空の城ラピュタ」('86)がある。著作には「『ホルス』の映像表現」、「話の話」、「木を植えた男を読む」、「映画を作りながら考えたこと」「十二世紀のアニメーション」(以上、徳間書店刊)等がある。
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8/2(土)、恵比寿ガーデンシネマにてロードショー