世界で最も有名な存命の芸術家、フェルナンド・ボテロ。人間も静物もなぜだかみんなふっくら、ぷっくりと膨らみ、素朴でユーモアあふれる作風が愛される“南米のピカソ”だ。90歳のマエストロは現在も毎朝アトリエに通い、多幸感あふれる独創的な作品を生み出し続けている。本作では、幼い頃に父を失った貧しい少年が、闘牛士学校に通いながらスケッチ画を描いていた原点から、対象物をぽってりと誇張する“ボテリズム”に目覚め、《12歳のモナ・リザ》 のMoMA展示で一躍注目を浴びアート界の頂点へとたどり着いた軌跡を追いかける。一方でコロンビア出身という出自で差別され、ポップアートや抽象表現主義全盛期に具象画を描く頑なさを批判されたことも。愛息の死、自身の利き手の一部を失う悲劇など、精神的にも肉体的にも作家生命が危ぶまれた衝撃の過去が明かされる――。
肖像画といえば、一般的に写真のように端正に描かれた作品をイメージしてしまうかもしれません。ですが、ボテロの肖像画には、まるで風船のように膨れ上がったオーバーサイズの人物しか登場しません。今まで見たことのないようなオリジナリティが感じられます。
美術史を紐解くと、過去には幾人もの巨匠が女性の美しさを強調するため、自らの好みを反映させて豊満な女性を数多く描いてきました。ですが、ボテロの作品は、豊満・・・というレベルを遥かに超えているようです。しかも、女性だけにとどまらず、人間なら老若男女全てが平等に巨大化しています。馬やネコといった動物から、植物や生活道具まで、あらゆるモチーフが徹底して重量感あふれる姿で描かれていることがわかります。
そうなると、誰しもが頭にクエスチョンマークが思い浮かぶのではないかと思います。「なぜ、ボテロはこんなに太った人物ばかりを好んで描くのだろうか?」という素朴な疑問です。実際、インターネット上に数多くアップされているインタビューを見ても、大半の記事で、ボテロはこれと同じような質問を記者から受けています。
さて、これに対してボテロは何と答えているのでしょうか。実は、一言で「~~~だからだ」と明確に言い切っている回答はありません。一言で表現できるほど単純なものではないのでしょう。ですが、終始一貫ブレずに主張しているのは、「決して太った女性を描こうとしているわけではない」ということです。
西洋美術の巨匠ルーベンスやルノワールは、豊満な女性が好きでした。故に、彼らの描くヴィーナス像のボディーラインは、自然と丸みを帯びていきました。一方、ボテロが豊満さを求める対象は女性に(どころか、人間にさえ)限られません。また、人々を驚かそうとして、ワザとこうした作風を採用したわけでもありません。ただ、「描く対象の美しさや官能性を追求していった結果、徐々に今の作風にたどりついたのだ」と繰り返し語っています。
では、こうした「ふくよかさ」はいつ頃、どのようにして自らの作風として確立されていったのでしょうか。そこで、映画前編でも語られている、ボテロの作家人生においてターニングポイントとなった作品や出来事を振り返ってみることにいたしましょう。
ボテロが画家を目指そうと決意したのは10代半ばのこと。叔父の勧めで一旦は闘牛士を養成する学校へと通います。しかし学校では、ボテロは闘牛士になるための訓練よりも、闘牛の絵を描くことに夢中になってしまいます。最初は闘牛士の売店でのささやかな委託販売からはじまり、(※初めての売上2ペソは自宅に帰る途中で落としてしまった)その後は、地元で商業誌のイラストレーターとして食いつなぎながら画家への夢を追い続けることになります。
この頃の作品を見てみると、すでに「ふくよかさ」への萌芽は見えているものの、他の画家に比べて極端に膨れ上がったフォルムで描かれているわけではありません。どちらかといえば、セザンヌやルオー、ピカソといった近代絵画の巨匠をミックスさせたような画風に近いようにも見えます。
ところで、長らく西洋の植民地として文化的に抑圧されていた当時のコロンビアは、(誤解を恐れず言えば)一種の「文化の空白地帯」になっていたともいえます。当時、ボテロの生まれ故郷メデジンには美術館も画廊もなく、絵画について深く学びたいと思ったら、海外へ留学するしかなかった状況でした。そこで留学資金が貯まると、ボテロは一路ヨーロッパを目指します。思い立ったらすぐに現場に飛んでいってしまうのがボテロの凄いところです。
まず最初にたどり着いたスペインでは、ベラスケスやゴヤといった巨匠の作品から学びます。ひと夏をパリで過ごした後、ついでイタリア・ルネサンスの巨匠ピエロ・デラ・フランチェスカに惹かれてイタリア・フィレンツェへと移住。
ボテロが「ふくよかさ」や「豊満さ」を意識し始めたのは、このフィレンツェでした。イタリア・ルネサンス期に活躍した画家たちの絵を見たり、大学で絵画理論の講義を受けたことがきっかけとなります。
それまでも、直感に基づいて無意識に量感を感じさせる絵を描いていましたが、イタリア留学を経て、「ふくよかさ」への希求をハッキリと心に抱くようになったのです。以後、ボテロの絵は丸みを帯びながら、多数の人物が入り乱れて登場する構図、人物たちの躍動するポーズなど、イタリア・ルネサンス絵画から学んだエッセンスがカンヴァスに色濃く反映されていくことになります。
そこから資金が尽きて一旦は祖国コロンビアへと帰国。ほどなくして、南米人としての自らのルーツを追求するため、今度はメキシコへ移住します。
そこで、ついにボテロに決定的なインスピレーションが降りてきます。
映画でも詳しく語られていますが、その瞬間は、ある日彼がアトリエでマンドリンの絵を描いている時に突然やってきました。丸々とした大きな形でマンドリンを描き、最後に開口部を意識的に小さく描いてみたところ、マンドリンがとてつもなく大きく膨れ上がって、爆発したような感覚を得られたのです。
そこからさらに10年以上、ボテロの修行時代は続いていきます。映画内でも初期のスケッチや制作資料が収められた作品収蔵庫を彼の子どもたちが約40年ぶりに開けるシーンがありましたが、収蔵庫の中からは、ボテロが「ふくよかな」作風を目指して探求を続けてきた痕跡がわかるような、膨大な下絵や資料群が映し出されていました。
映画では、ボテロが人生の中で追求してきた「ふくよかさ」を様々な角度から掘り下げていきます。なぜ彼がこれほど世界中で愛される画家となったのか。「ふくよかさ」が鑑賞者に与える意味とは何なのか。このあたりを考えながら映画を楽しんでいただけるとより深い鑑賞体験が得られるのかもしれません。