あの日のように抱きしめて

8月15日(土)、Bunkamuraル・シネマ他にて全国順次ロードショー!

ただ知りたかった。あの時、夫は私を愛していたのか。それとも、ナチスに寝返り裏切ったのかを―。

1945年ベルリン。顔に傷を負いながらも強制収容所から生還した妻と、変貌した妻に気づかない夫。再会により炙り出される心の傷、そして夫婦の愛の行方をサスペンスフルに描いた優しくも切ない衝撃作!

ミュージック

「スピーク・ロウ」が優しくささやきかけること――

 本作の音楽について

前島秀国 (サウンド&ヴィジュアル・ライター)

本編冒頭、漆黒の闇の中をドライブするレネと、痛々しく包帯を顔に巻いた助手席のネリー。いわくありげな彼女たちがドイツ国境を越える時、夜の静寂(しじま)で独り言を呟くようなダブルベース(コントラバス)のピツィカートが聴こえてくる。どこか郷愁を誘うそのメロディは、ジャズのスタンダード・ナンバーとして知られるクルト・ヴァイル(ワイル)作曲の「スピーク・ロウ」だ。  パレスチナ移住の準備を進める2人は、食事をとりながらSPレコードの演奏に耳を傾ける。流れてくるのは、中年男性が歌う「スピーク・ロウ」。戦火のロンドンでこの歌を愛聴していたレネは、いつかネリーに歌って欲しいと希望を口にし、ネリーも精一杯の笑顔で応える。だが、アウシュヴィッツで精神も顔もズタズタにされた歌手ネリーに、果たして「スピーク・ロウ」のような愛の歌を歌える日が訪れるのだろうか。

 クリスティアン・ペッツォルト監督の前作『東ベルリンから来た女』でもそうだったが、ペッツォルト監督が音楽を使う時、そこには必ず深い意味が隠されている。別掲の「スピーク・ロウ」の訳詞をお読みいただくと、愛の儚さを歌う歌詞が、ネリーと夫ジョニーの儚い夫婦関係――生き別れになる前、2人が過ごした愛の日々はとっくに過ぎ去ってしまっている――を象徴していることに気付くだろう。

 しかしながら、監督がこの歌を選曲した理由はそれだけではない。作曲者のヴァイルとは一体どんな人生を送った音楽家なのか。そして「スピーク・ロウ」が元々どういう文脈で歌われていた歌なのか。そうした背景を踏まえた上で、この歌を使っていると見るべきだ。

 ユダヤ人の家系に生まれたクルト・ヴァイル(1900年デッサウ生―1950年ニューヨーク没)は、もともとは後期ロマン派~新ウィーン楽派の衣鉢を継ぐクラシックの作曲家を志していた人だった。ところが、劇作家ベルトルト・ブレヒトとコンビを組んだ音楽劇《三文オペラ》(1928年初演、注1)がセンセーションを巻き起こし、「マック・ザ・ナイフ(メッキー・メッサーのバラード)」をはじめとする劇中ナンバーが世界中で大ヒットを記録したことから、以後、ヴァイルとブレヒトは《ハッピー・エンド》《マハゴニー市の興亡》《七つの大罪》などの音楽劇を立て続けに発表し、時代の寵児に伸し上がった。つまり、ヴァイルはそれまでのクラシック作曲家という“顔”を捨て、劇音楽作曲家という新しい“顔”を身に付けたのである。だが、1933年にナチスがドイツ国内で政権を獲得すると、ユダヤ人ヴァイルの音楽は“頽廃音楽”の烙印を押され、彼自身も亡命を余儀なくされる。新天地アメリカで彼が選択した道は、なんとブロードウェイ・ミュージカルの作曲家に転身することだった。《レディ・イン・ザ・ダーク(闇の女)》や《ロスト・イン・ザ・スターズ》など、ブロードウェイで大当たりをとったヴァイルはアメリカ市民権取得後、公的な場でのドイツ語の使用を拒否し、ブレヒトをはじめとするドイツ時代の旧友にも英語の使用を強要したという。ブロードウェイ作曲家という新たな“顔”を得たヴァイルは、50歳の誕生日のわずか1ヶ月後に亡くなるまで、アメリカ人としての“顔”を守り通した。そんなユダヤ人作曲家ヴァイルの音楽が、本作の中で文字通り“顔”の変わったユダヤ人女性ネリーの生きざまと対置されているのである。

 では、「スピーク・ロウ」はどのような文脈から生まれた楽曲なのだろうか。

 このナンバーは1943年、ヴァイルがアメリカ市民権を獲得した直後に手がけたミュージカル《ワン・タッチ・オヴ・ヴィーナス》(注2)の愛のデュエットとして書かれたものである。理髪師の男が博物館のヴィーナス像に指環を嵌めると、なんとヴィーナス像が生きた女神として甦る。2人は同棲を始めるが、ヴィーナスは理髪師が求める“理想の主婦”になりきれず、アメリカ中流家庭のライフスタイルに飽き飽きした末、オリンポスの世界に連れ戻される……というのが大まかなプロットだが、その根底にあるのはギリシャ神話に登場する彫刻家ピュグマリオンのエピソード――現実の女性に飽き足らなくなったピュグマリオンが、理想の女性の彫刻を彫るうちに、その彫刻に恋してしまう――である。この神話にはいくつものヴァリエーションや新解釈が存在するが、その中で最も有名なのはジョージ・バーナード・ショーの戯曲「ピグマリオン」と、それをミュージカル化した《マイ・フェア・レディ》(およびその映画版)であろう。

 本作における夫ジョニーは、かつて自分が愛した妻ネリーを甦らせようと、顔の変わった現実のネリーに細かい注文を出す。まるで《マイ・フェア・レディ》の花売娘イライザをレディに仕立て上げるヒギンズ教授のように。“理想の女性像”を押し付ける男と、それに従いつつも抵抗感を覚える女。《ワン・タッチ・オヴ・ヴィーナス》にも《マイ・フェア・レディ》にも、別掲のインタビューでペッツォルト監督がインスパイアされたと語るヒッチコックの『めまい』にも、そして本作にも見られるそうした歪な男女関係の構図は、実のところ、すべてピュグマリオンのエピソードのヴァリエーションに他ならない。そのことを暗示するために、ペツォールト監督は《ワン・タッチ・オヴ・ヴィーナス》の最も有名なナンバーである「スピーク・ロウ」を意識的に選曲したのではあるまいか。

 ちなみに本編で流れてくるSPレコードの「スピーク・ロウ」の録音は、クルト・ヴァイル本人がピアノを弾きながら自ら歌った貴重な演奏が使用されている。この演奏は1943年、《ワン・タッチ・オヴ・ヴィーナス》上演のために用意されたプライベート録音だが、ヴァイルの死後、1950年代になるまで商業発売されることはなかった。ジャズやポップスを含め、「スピーク・ロウ」は様々なアーティストによる数多くの名演が存在するが、それらをすべて差し置いてヴァイルの自作自演盤を使用したあたり、ペッツォルト監督の並々ならぬ拘りが感じられる。ヴァイルの歌ではもう1曲、アメリカ兵相手のクラブ「フェニックス」の舞台で、踊り子2人が「光の中のベルリン Berlin im Licht」を歌うシーンが出てくるのも嬉しい。こちらは1928年、すなわち《三文オペラ》初演の直後にヴァイルが作詞・作曲した楽曲である。

注:
(1)1931年にG・W・パプスト監督が映画化。
(2)1948年にウィリアム・A・サイター監督、エヴァ・ガードナー主演で映画化。邦題は『ヴィナスの接吻』。